[一次試験] 学習のポイント
目次
本当にノートは作らなくて良いのか?
「クソ問題」にこだわり過ぎない
解いた過去問題の答案とテキストを持ち歩く
本当にノートは作らなくて良いのか?
結論から言うと、本当に作らなくて良いです。一般的に「ノートを作る」というのは、試験範囲全体に渡って、テキストの内容をなぞったり、あるいはテキストの重要部分を抜き出したものを大学ノートなどにひたすら書いていくという作業の事を言います。日本の学校の授業では当たり前のように行われている事ですが、インテリアコーディネーター試験に限らず資格試験に合格するための受験勉強ではほとんど意味がありません。なので、そういう作業のために時間を使わない方が良いでしょう。
例えば、作ったノートがどうなるのかを考えてみましょう。インテリアコーディネーターの一次試験では、資料の持ち込みができません。なので、 せっかく時間をかけてノートを作り貯めても、それを試験中に参照する事などできません。その作ったノートを何かに役立てる事を考えると、必然的に試験の本番ではなく試験勉強という事になります。
では試験勉強でどのように使うのかと言えば、試験勉強中に練習問題や過去問題を解いたときに正答の導き方がわからい場合など、何かしらを調べるために参照するのに使うというぐらいしか無いでしょう。
しかしそれと同じ役割をするものに、テキストというものがあります。そのテキストはわざわざ時間をかけて手作りしなくても、買うだけで準備できます。テキストは情報量が多く、文字は印刷されたフォントで、先頭には目次が、巻末に索引がついています。出版のプロたちがチームで編集して作っているものです。そんなテキストよりももっと優れたノートを、たったひとりで手作りで、ましてや出版物の編集のプロでもない素人が作る事などまず不可能です。言ってしまえばノートは、素人が手作りしたテキストの劣化版でしかないのです。実際、せっかく時間を費やしてノートを書き上げたけれど、その後の勉強では結局テキストの方が読みやすいので、自分で作ったノートなど開く機会すらなく、ノートづくりに費やした時間が完全に無駄だった、と実感する人が多いのではないでしょうか。恥ずかしながら、昔、若かった頃の私自身がまさにそうでした。
さらに資格試験の受験経験があまり無いうちは、手を動かしてノートをまとめるという、フィジカルな実感が得られる作業をすると、それによって内容が記憶にとどまるというメカニズムがあるように思ってしまいがちです。しかし試験の実戦経験を積んでみると、ノートをまとめる作業をいくら長時間こなしたところで、試験本番で使い物になるような情報はほとんど頭に蓄積できないという事かがわかってきます。必要なのは、問題を出されたときに、何も見ないで、自分の頭の中にある情報だけで正解できるか、という事です。そのためにはノートをまとめる事よりも、過去問題を解いては答え合わせをして、という実戦型の訓練を繰り返す方がずっと有効です。
試験を受験しに行って出題された問題に正解するというのは、器械体操やフィギュアスケートの試合に出場して技をキメるようなもので、本番までにできるようにしてきたかそうでないか、練習の成果が実にシンプルに反映されます。基本的には「まずは一度技をキメてみせて、そしていつもキメられるように定着させる」の繰り返しです。試合中にキメられる技というのを、試験の本番で解ける問題に置き換えて考えてみて下さい。練習で解けた経験のない問題が本番で突然解けるという事はありません。解いた結果正解なのと、まぐれで当たるのとは全くの別物です。効果的なのはノートをまとめるような「タスク消化型」の作業ではなく、もっと実戦寄りの「練習型」「訓練型」あるいは「クイズ形式」のようなトレーニングです。
例えば、作ったノートがどうなるのかを考えてみましょう。インテリアコーディネーターの一次試験では、資料の持ち込みができません。なので、 せっかく時間をかけてノートを作り貯めても、それを試験中に参照する事などできません。その作ったノートを何かに役立てる事を考えると、必然的に試験の本番ではなく試験勉強という事になります。
しかしそれと同じ役割をするものに、テキストというものがあります。そのテキストはわざわざ時間をかけて手作りしなくても、買うだけで準備できます。テキストは情報量が多く、文字は印刷されたフォントで、先頭には目次が、巻末に索引がついています。出版のプロたちがチームで編集して作っているものです。そんなテキストよりももっと優れたノートを、たったひとりで手作りで、ましてや出版物の編集のプロでもない素人が作る事などまず不可能です。言ってしまえばノートは、素人が手作りしたテキストの劣化版でしかないのです。実際、せっかく時間を費やしてノートを書き上げたけれど、その後の勉強では結局テキストの方が読みやすいので、自分で作ったノートなど開く機会すらなく、ノートづくりに費やした時間が完全に無駄だった、と実感する人が多いのではないでしょうか。恥ずかしながら、昔、若かった頃の私自身がまさにそうでした。
さらに資格試験の受験経験があまり無いうちは、手を動かしてノートをまとめるという、フィジカルな実感が得られる作業をすると、それによって内容が記憶にとどまるというメカニズムがあるように思ってしまいがちです。しかし試験の実戦経験を積んでみると、ノートをまとめる作業をいくら長時間こなしたところで、試験本番で使い物になるような情報はほとんど頭に蓄積できないという事かがわかってきます。必要なのは、問題を出されたときに、何も見ないで、自分の頭の中にある情報だけで正解できるか、という事です。そのためにはノートをまとめる事よりも、過去問題を解いては答え合わせをして、という実戦型の訓練を繰り返す方がずっと有効です。
解ける問題の種類が多くなればなるほど点数は上がります。さらに解ける問題が多くなってくると、その問題自体は練習していなくても、関連する問題を解くスキルの応用で解ける問題が出てくる様になります。ひとつの問題を解くノウハウ同士が頭の中で網目のようにリンクして、トータルな知識や本質的な理解になって行きます。そのうち試験全体のうち殆どの問題が解ける状態になって、いつ試験を受けても合格できるような状態に到達します。
ところで、書く作業が無意味なのかというと、そういう事ではありません。受験勉強をする過程で、理解や記憶をサポートするために、紙の上に文字を書いたり図を描いたりして、視覚的に整理したり集約したりする作業の効果までは決して否定しません。むしろ上手に行えば大いに有効でしょう。例えば、
- 建築やインテリアの歴史を整理して眺められるように年表形式で書き出してみる
- 名作家具の作者や特徴をまとめて覚えるために一覧表にしてみる
- 法規の複雑な関係性について矢印で結んでグラフィック化してみる
- 複数のテキストの情報を合体させて、一覧できるような資料をまとめる
といった作業は大いに有効だと思います。そういう事はどんどんやった方が良いでしょう。しかしそれらはいずれも、市販のテキストにもともと書いてある情報の要点をただ拾い上げてノートに書いていくという、いわゆるノートづくりと呼ばれる作業とは根本的に異質なものです。
ノートづくりというのは日本では小学校から大学まで授業中によく行わせているため馴染みがありますし、ノートにカリカリとたくさんの字を書き込み、その書き込んだページが分厚く溜まっていく事は、いかにも勉強をしている様な雰囲気も、体を動かした充実感も得られます。しかし資格試験で点を取る力を付けるための効果はほとんどありません。学校教育でこうした作業をさせるのは、テストの点数だけで成績を決定するようなドライな評価を避け、日常的な勤勉性なども評価の対象にしてマイルドな評価にするという意味合いもあると思います。資格試験はそれとは違い全てが一発勝負のみで決まるものですが、そういう場で発揮できるような力が付くという性質はありませんので、資格試験の受験勉強には不向きです。
- 建築やインテリアの歴史を整理して眺められるように年表形式で書き出してみる
- 名作家具の作者や特徴をまとめて覚えるために一覧表にしてみる
- 法規の複雑な関係性について矢印で結んでグラフィック化してみる
- 複数のテキストの情報を合体させて、一覧できるような資料をまとめる
ノートづくりというのは日本では小学校から大学まで授業中によく行わせているため馴染みがありますし、ノートにカリカリとたくさんの字を書き込み、その書き込んだページが分厚く溜まっていく事は、いかにも勉強をしている様な雰囲気も、体を動かした充実感も得られます。しかし資格試験で点を取る力を付けるための効果はほとんどありません。学校教育でこうした作業をさせるのは、テストの点数だけで成績を決定するようなドライな評価を避け、日常的な勤勉性なども評価の対象にしてマイルドな評価にするという意味合いもあると思います。資格試験はそれとは違い全てが一発勝負のみで決まるものですが、そういう場で発揮できるような力が付くという性質はありませんので、資格試験の受験勉強には不向きです。
「クソ問題」にこだわり過ぎない
「クソ問題」とは、「出題の仕方が理屈的におかしい」とか、「検定試験としてあまりに出題者のセンスが欠如している」という問題の事です。だいたいどの様な検定試験でも、こういう問題は出題されてしまいます。こういう問題は、もはや対策のしようが無いと考えるのもやむを得ません。こういう問題まで正解できるように実際にトレーニングするという事になると、それに費やす時間と得られる効果とが全く見合わない場合も多いので、潔く諦めて、捨ててしまえば良いです。インテリアコーディネーターの一次試験は、192問もの問題があります。極論を言えば、どうしても点が取れない1問や2問のクソ問題で1問や2問分の点を逃したとしても、他の問題で全問正解すれば、絶対に不合格にはなりません。もっと他の、勉強しさえすれば確実に点が取れる問題に関して勉強するのに時間を充てたほうが良いです。試験では満点が必要なのではなくて、合格ラインの点数に達する事が必要なのです。
ただし、ちょっと学習に苦戦するからと言って、あれもこれも「あーこれ、クソ問題だわー」なんて言って匙を投げてしまっていては、解けない問題ばかりがただ山積みになっていくだけです。そうならない様に、見極めは慎重にしましょう。出題者は、当然ある程度権威のある人ですから、おかしな出題をしてしまう事があるとはいってもごく稀で、件数的にそんなに多くはない筈です。まずは解くことができない自分自身を疑ってみるのが鉄則です。ただ単に難しいから、という事ではなく、自分なりにでもそれがクソ問題だという理屈が合理的に説明できるような場合に限って「クソ問題認定」をするのが良いと思います。そして自分なりのクソ問題認定をしたら、その問題の事はきれいさっぱりと忘れて、その代わりに他の問題で点を取れる様に気持を切り替えて頑張りましょう。
解いた過去問題の答案とテキストを持ち歩く
本番と同じ様に時間を測って過去問題を解くというのは、非常に効果的で重要な学習メニューです。私はそれをできるだけ多く行う事を推奨しています。ただしそれを行うにはある程度まとまった時間が必要で、インテリアコーディネーター試験のように長時間の試験だと、必然的に休みの日に行わざるを得ません。
受験生というのはこのように休日の時間を試験勉強に充てなくてはなりませんが、もともと日常の生活には家事を始め、生活そのものを回していくためにやらなければならない事もあります。そして当然、平日だけでなく休みの日にだってしなくてはない用事はあります。
休みの日に解いた問題の答え合わせや解けなかった部分の復習をその休みの間に全てできてしまえば理想的ですが、なかなかそうも行かない場合も現実的には多いと思います。なんとか休日にこなせるとしても、休日にばかり負荷が集中してしまうのではそれもまた不都合です。
そこで、私がお薦めしたいのは、休みの日にはとりあえず本番と同じように時間を測って過去問題を解いてみて、その答え合わせや復習を細切れに分割してある程度平日に回すという方法です。
一次試験の内容は、必要な知識を正しく覚えてきたかどうかを答えさせるという趣旨の問題がほとんどです。ですので受験勉強も覚える作業が中心です。そのためちょっとした空き時間などで少しずつ勉強するのにも適しています。
また一方で、過去問題の復習として解説を読んだりテキストの関連する部分を読みかえしたりして解き方を調べるという学習は、一問一問の問題単位で行う事ができ、これまたちょっとした空き時間で少しずつ進める事が可能です。
もちろん、平日の隙間時間も限られていますし、そうした平日の隙間時間を使えば全問の復習ができるとは限りません。ただ、問題を解くのもその復習をするのも全て休日に行うというのではなく、平日の隙間時間と休日のまとまった時間とをうまく組み合わせて使うことでだいぶ時間の使い方の融通が効きやすくなります。
それを可能にするために、過去問題を自分で解いて、マルバツをつけた答案と、テキストを平日にも持ち歩いて、ちょっとした時間に勉強できるようにする事をお薦めします。持ち歩く荷物は増えてしまいますが、忙しい毎日の中で現実的に、そして着実に得点力をアップしていくには大いに使える方法です。